Digital Museum for Endangered Languages and Cultures The Ryukyu Archipelago: Nishihara, Miyako Islands

デジタル博物館「ことばと文化- 琉球列島」宮古諸島 西原地区

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この電子博物館は沖縄県宮古島市、そのなかでも特に西原地区の言語と文化を映像や音声で紹介しています。西原地区の皆さん、地区出身でほかの土地で 暮らしている方々、また、琉球の言語や文化に興味がある方や研究者の方が、西原の言葉、暮らしや行事などを楽しく見られるように構成しています。琉球の言語と文化はいま消滅の危機に瀕しているといってよいでしょう。現在、琉球語を母語として自由に話せる方はほとんどが高齢で、共通語との二重 言語話者であり、共通語での生活が増えるにしたがって、若い世代への母語の継承は困難になってきています。これまで琉球は独自の風習、文化を維持し、人々はそのなかで豊かな生活を送ってきました。しかし、学校教育、特に方言札 をはじめとする、標準語励行のための方言使用禁止の教育・文化政策や最近のマスメディアの発達のため方言を自由に使う機会が極端に少なくなり、その文化と母語が急速に失われかけています。

宮古島西原地区は、池間方言という宮古島でもかなり特徴的な言語が話されているところで、近隣の池間島から140年ほど前、明治7年に移住してきた方々が暮らしています。他地区から移住してきたためより一層自己アイデンティティの確認作業を行わなければならず、自分たちの文化と言語を継承する努力をつづけ、母語と独自の文化を維持しています。この地区は、50代でも自由に方言で話せるという、琉球でも珍しい地区だといえるでしょう。また、ナナムイと いう集落の神事を司る組織を作り、おもに女性たちの手で古くから伝わる儀式を現在にまで伝えてきています。しかし、この地区でさえも、他地区への移住、他 地域からの流入、学校教育により、母語を失い、現代生活を続けるために伝統的な儀式を行うことが難しくなっています。 我々は2006年1月からこの地区で言語調査を行わせてもらい、その言語、文化がいかに素晴らしく、その担い手たちがいかに魅力的かを身を持って感 じてきました。西原ではさまざまな老人会の活動を通じて、積極的に若い世代に自分の言語・文化を伝える努力を続けています。たとえば、月に一度の定例会で は、池間方言に残る記紀・万葉の言語との関連を勉強したり、伝統的な舞踊と歌謡を練習したりする活動を続け、2007年には、老人会45周年記念の会とし て、明治7年の池間島から宮古島への移住の思い出を歌劇の形にして、上演し、その映像をDVDに残すということを行っています。この歌劇は、すべて西原の 方々がシナリオと演出を担当し、100人近い出演者で作ったもので、すべて池間方言で演じられています(西原村立て 。また、地区内にある保育園では、園児たちが西原のおばあたちとふれあいを持つ機会を設け、西原の言葉と文化を子どもたちに伝える活動をしています。その成果の一部は西原の言葉(んすむらぬ むぬい といいます)で描かれた創作方言童話 、子育てのためのことわざ集、子育ての歌の収集と採譜、などとして実現しています。

方言は地域に密着した生活語であるため、地域の生活を離れ、現代生活で必要とされる語彙や表現は、共通語からの借用を用いるのが普通でしょう。西原 で話されている池間語は、南琉球語のひとつである宮古語の方言で、共通語だけでなく、沖縄本島の言葉ともずいぶん違い、別の言語といってよいくらいです。 それでも、生活が現代化するとともに地域の言葉は使われなくなり、共通語との二重言語生活が続き、さらには生活語自体が共通語に置き換わってしまいます。 それと同時に西原の言葉(んすむらぬ むぬい)で伝えられてきた豊かな世界が失われることになってしまいます。われわれにはそれを止めることはできませんが、いま、西原にある豊かな言葉と文化を記録し、映像や音声として残しておくことはできます。この電子博物館は西原地区の皆さんの活動や歌、踊り、などを 記録し、楽しく鑑賞できる場所を提供するものです。西原の言葉や文化が若い世代にも学習、鑑賞できるように構成されています。